Naomi Harris (なおみ はりす)

【パニック障害が得意分野です】
Naomi Harris
ハワイからパニックに寄り添います

出身地

福井県

趣味

ビーチでのんびり。カフェでお喋り。

経歴

■2003年
高校卒業後、美容室へ入社。
月4回の休みと毎日約12時間労働という激務。5年間勤めた後、退社。

■2008年~2018年までの10年間
ショッピングモール内のアクセサリーストア、ケーキ屋、お茶屋、化粧品コーナーの美容部員などを経験する。

■2011年
アクセサリー雑貨屋のチーフになる。

■2013年
鬱になり病院へ通う。その半年後、パニックで倒れる。

■2019年
ハワイ州オアフ島へ単身渡米
映画の撮影地で有名なKualoa ranchで、パニックのまんま日本人ツアーガイドを勤める。

■2020年
ハワイで出逢った男性と結婚、出産。
産後ひどいパニックに再度悩まされる。

■2021年
ポッドキャスト、パニックさんの心のお守りに出逢い、自分の心身と向き合う。
心理に触れ、アウトプットが増えるにつれ、パニックが楽になっていく。
 
■2022年
カウンセラー養成講座卒業。

■2024年
パニック障害専門カウンセラーとして起業

プロフィール

福井県出身、3人兄姉の末っ子として生まれました。

物心ついた頃から怖がりで、周りの顔色を伺うのが上手な女の子でした。
本は読めなかったが、空気はサクサク読め、我慢するのが得意でした。
口ぐせは
「すいません。」
「私にはムリ。」

高校卒業後に勤めた美容室はとても厳しく毎日8時出社、22時帰宅。
5年間、変わらず手取りは11万。
自分で作った借金が200万近くもありましたがそんな生活に疑問すら沸かず、
自分の意見は持たず、毎日とにかく怒られないようにと誰かの正解の枠の中で、生きる日々でした。

そんな中、中学の時、英語の外国人の先生に英語が通じたことが凄く嬉しくて、
海外に住んでみたいと思うようになったことを思い出し、退職を決意しました。

しかし、「私には無理」を自分自身に沢山言っていた私は、その通り資金も貯めれず、
気持ちも固められず、何年も足踏み。

お金を貯めるべく、小売業に転職。
2012年オープニングスタッフとして、アクセサリーショップ入社後、チーフになりました。

完璧主義で、「べき!」が強かった私は、自分にも他人にも厳しく、お店のスタッフにきつい言葉を言って、泣かせてしまうこともありました。自分がそうされた様に。

鬱とパニックを発症したのはこのころでした。
無理が続いていることに自分でも気づかず、ある日出勤途中の運転中、トラックに突っ込んでしまったのです。

常に考え事をしすぎていて、どうしてそうなったのか、その時の記憶はあまりありません。
幸いケガはありませんでしたが、これがどういう意味なのかをまだ解っていない私は、償うように更に頑張って働き続けてしましました。

パニックに沢山打ちのめされても、アメリカで仕事をする事を考えなかった日は1日もありませんでした。
パニックだって、行きたいところに行けること、夢は叶えられることを、自分自身に証明したい。
その思いから、ついに長年の夢、海外に住むという夢を叶えるためにハワイに行くことを決めました。

驚くことに、渡米した2日後に待ってくれてたかのように今の主人と出逢い、出会って4か月で結婚。

常夏のハワイにに飛び込み、気候、働き方、自由な考え方、見た目でジャッジされない生き方、ハワイの陽気でポジティブな雰囲気。
色々なものが刺激になり、体調はどんどん良くなり、私はパニックのことを忘れていきました。

しかし、現地の人として暮らすことで、ハワイのネガティブな部分も見えてきます。

住民の多くが低所得なハワイでは、ダブルワークで朝から晩まで休みなく働くのは当たり前。
美容室時代の私以上に働く主人はほとんど家におらず、初めての子育ては異国の地でひとりっきり。
コロナ禍で友達を作ることもできず、私はどんどん孤独になり、
気づいたら大きく成長したパニックさんと再会していました。

産後8ヶ月まで、ほとんどベッドの上で過ごし、ただただ娘の命を繋ぐことだけを優先。

8ヶ月で娘の卒乳を機に薬を飲み始めても、引き続き私の住んでる世界はキラキラしたハワイなんかではなく、直径150CMのベビーサークルの中。

お薬を飲んでも身体中が重い。
痛い。寝ても覚めても予期不安。
発作を繰り返していました。

このように私が動けないため、娘をサークルから出してあげれない事が不憫で不憫で。
ある日、何とかしなきゃ、と本気で自分の心身と向き合い始める覚悟を決めました。

その時、オンラインでパニックさん向けのPodcastに出会いました。
これをラジオのように1日ずっと聞いては、パニックを手放す、アウトプットする日々。

これがみるみる私を変えました。

針灸、整体、CBDオイル、外からできるものは何でも試してダメだったのに、今までのは何だったの??
と思うくらい、心理を通して自分の内側と向き合い、どんどん軽くなりました。

私のパニックは小さい頃からの心のクセ考え方により作られてきていた事を知り、
そしていつだって私は独りじゃない事を思い出しました。

3ヶ月後ベビーサークルの中で生活していた私は、ワイキキのカフェで働き始めるまでに回復。

そして、かつての私のようなパニックで苦しむ人たちのサポートをする事を決めカウンセラー養成講座を受講しました

私は、パニックに出逢わなければ、ハワイに挑戦することも、こんなにも自分を愛しいと思うことも、本当の意味で人の優しさに触れることもありませんでした。

頑張らない私のままで生きることを教えてくれたパニック障害は、敵じゃない。
同じ様に悩むあなたの、これからの人生の光を一緒に見つけていきましょう。

メッセージ

Aloha! Naomi です。

パニックになってまで、頑張り続けているあなたは、もう充分強い人。
沢山の荷物を、気づかずに背負ってしまってるのかもしれません。

私はアメリカの多様な人や文化に触れ、生き方に違いはあって間違いはないという事を知りました。
自分の捨てたいほど嫌いな所が誰かの救いになっていたり、こうするべき!
と頑なに信じていたものが、そんなに大切でもなかったり。

でも自分一人だと、何が自分を縛っているものなのか
なにを背負っているのか、当たり前すぎて見えなかったりするんです。

何だか解らないけど息苦しい、生きづらいと感じていませんか?

そして心は目に見えないもの。
ケガをした時のように、直ぐにケアをしない方が多いのです
過去の私がそうだったように。

カウンセリング先進国のアメリカでは、カウンセリングを受ける時「問題」はいりません
病気の人だけではなく、メンタルの管理や、気持ちがモヤっとしたら、マッサージを受けにいく感覚でカウンセラーに話しにいく。
というのは、ごく一般的な行為。

本来カウンセリングはそういうものであり、日本でもいずれこの感覚に変わっていくと思います。
しかし日本が変わるには時間がかかりそう…。
時間はかけがえない命です。
一足先にグローバル基準でカウンセリングをはじめてみませんか?

ぜひ自分のこれからの人生ために、パニックの人生ではなく、貴方の人生を軽やかに生きるために、一緒にパニックを手放していきましょう。

✓本当はもう、頑張れない。
✓実は、誰かに話を聞いて欲しい。
✓何が何だかわからない。
✓パニックをどうにかしたい。

そんな思いがあるあなた、どうぞ話に来てくださいね。

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